日本に存在する五種類の琵琶について

筑前琵琶漆塗り琵琶

琵琶は遣唐使によって奈良時代に大陸から伝来した雅楽の楽器の一つで、平安時代には雅楽の中だけでなく、独奏楽器としても愛されました。
源氏物語の絵巻や、今昔物語の中にも琵琶が宮廷人に好まれていた歴史が伺えます。
琵琶の起源は古代ペルシャにあるといわれ、そこで出来た“バルビトン”という楽器がアラビアでウードに、西洋でリュートからギターやヴァイオリンに、インドでヴィーナに、ベトナム、中国、韓国そして日本では琵琶として発達しました。
同じアジアでも、他の地域では数々の改良などが施されたため、正倉院に残されている形のまま、今日に伝えられているのは日本だけです。
現在、日本には次の五種類の琵琶があります。


雅楽琵琶(楽琵琶)

雅楽で使われる琵琶は、他の琵琶に比べ一番大きく重く、反対に撥は一番小さくて軽く華奢です。絃は4絃で絹で出来ています。
奏者は琵琶を正面を向かせて横に構え、奏者の胸の辺りから下へ向けて撥を下ろしながらアルペジオ風に弾きます。独奏ではなく、リズムキーパー的な役割です。

盲僧琵琶

平安時代から盲目の琵琶法師がいたと伝えられています。
彼らの活躍は、比叡山延暦寺を建立する際に、蛇が出て困っていたのを彼らが琵琶を奏でながら地神経などを詠み、鎮めた、というエピソードにも残っています。
現在は肥後の方に僅かに残るのみとなっています。
彼らの使う琵琶は普通の琵琶よりも楽器の幅が狭く、その形が似ていることから“笹琵琶”ともいわれます。
陰陽道との繋がりもあり、その楽器の響孔の形が三日月形の一対ではなく、太陽を象った円と月を象った三日月形になっているものもあります。

平家琵琶

鎌倉時代になって、琵琶法師の中に「源平の合戦」をテーマに語る人が出てきました。 こうして「平家物語」が成立していくのですが、琵琶の伴奏で「平家物語」を語る平家琵琶は、鎌倉から室町時代にかけて大流行します。
ラフカディオ・ハーンの“耳なし芳一”の主人公である芳一は、まさに平家琵琶の演奏者。平家琵琶の演奏者のことを“平家”と呼んだ時期もあります。
楽器は、雅楽琵琶を小さくした形で、弾き方も同様に横抱きにして弾きます。
後継者が少ないことが心配されます。

薩摩琵琶

戦国時代、薩摩の島津忠良公が武家の師弟の教育用に道徳的な内容の琵琶歌を作らせました。
それが、次第に勇壮な内容を持つ“語り物”音楽に発展し、幕末になって、今日の薩摩琵琶のもとが築かれました。
明治時代には、薩摩藩士の中央政府進出に伴って、薩摩琵琶も東京に伝わり、急速に全国へと広まっていきます。
日本海海戦において、バルチック艦隊を遠くに臨みながら、兵士の一人が西郷隆盛の最期を語る「城山」を演奏し、士気を大いに高めて戦いに臨んだ、というエピソードも残っています。
多くの弟子の中からは、錦心流、錦琵琶、鶴田流などが派生しました。
楽器は背の高い柱(フレット)と、大きく広がった角の尖った撥が特徴で、打楽器のような鋭い音色と、幅の薄い撥で楽器の腹を打ち付けるように演奏します。
男性奏者が多いのは、武士の琵琶歌の伝統を持っているからかもしれません。
琵琶の正派の一人であった辻靖剛氏によって“日本琵琶楽協会”が設立され、流派の枠を超えて、琵琶楽の普及や後継者の育成がなされています。

筑前琵琶

明治中期、筑前盲僧琵琶の演奏者を父に持つ橘智定によって、薩摩琵琶や三味線などの要素を取り入れて始められた新琵琶楽。
門人の吉田竹子が伊藤博文の後援を受けて活躍したので、上京してからまたたく間に薩摩琵琶に並ぶ人気を集めるようになりました。
大正末期のある音楽嗜好調査ではトップの座を占めるほど人気がありましたが、戦後は合戦や武勇談を多くテーマにしていたこともあって、GHQから演奏禁止令を出されるなど、存続が危ぶまれました。
楽器は桑の木に桐の板を嵌めてあるため、薩摩琵琶に比べてやさしい音色で、撥は三味線のものに近い形になっています。
演奏者には女性が多く、初代の流れを汲む「旭会」とその娘婿から派生した「橘会」があります。
元宝塚歌劇団の上原まりさんは前者、琵琶会で初めて“重要無形文化財保持者(人間国宝)”に認定された故山崎旭萃さんは後者に属しています。