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お寺や神社との関係

琵琶と琵琶法師は切っても切り離せない関係です。
琵琶は弁財天の持ち物であり、この楽器には弁天様の霊力が秘められていると考えられて来ました。
そのためでしょうか?
奈良時代に琵琶が日本へ渡来してからは、寺院の法会で経文読誦の伴奏をしたり、神仏を祀る儀礼にも用いられて来ました。
民間では西日本を中心に広がっていた荒神祓や地神祭で欠かせない楽器となり、主に九州地方では、地神盲僧、とか荒神琵琶などとも呼ばれ、琵琶法師が家々をまわって琵琶の伴奏に乗せて「地神経」や「荒神経」を唱えて豊作や火伏せの祈願を行っていたのです。

また、琵琶法師は、各地の宿、市(いち)、お寺や神社の門前などで、平家物語が成立する以前から既に琵琶を伴奏楽器として語っていました。
読み物としての書物が成立していなかった時代、物語は“語り物”として琵琶などの伴奏に乗せて語られるのを聞いたものでした。
ちなみに、平家物語が流行した鎌倉時代には、それを語って歩いた盲僧のことも“平家”と呼ばれていました。
室町時代には、検校(けんぎょう)明石覚一が『平家物語』のスタンダードとなる覚一本をまとめ、室町幕府から庇護を受けて当道座を開きました。
覚一は、実は足利尊氏の従弟で、明石の地を拝領し中年まで書写山(兵庫県)の僧でしたが、急に失明して琵琶法師となった人物。 一説には、耳なし芳一のモデルであったともいわれています。

明石覚一

明石覚一が開いた当道座というのは、中世から近世にかけて存在した男性盲人の自治的互助組織で、盲人の地位向上や生業の安定をはかるものでした。
当道座の祖とされているのは平安時代の人康(さねやす)親王で、眼疾による途中失明により出家して京都の山科に隠棲し、そこに盲人を集めて琵琶、管弦や詩歌を教えた、と言われています。
親王の死後、そばに仕えていたものに与えられた官位から、当道座の最高の官位は検校とされました。

“琵琶”と聞いて多くの人が連想するのは『平家物語』もさることながら、怪談(小泉八雲著)の中に収められている『耳なし芳一のはなし』でないかと思います。
このお話は、江戸時代の奇談集『臥遊奇談』(一夕散人著)の第二巻の「琵琶秘曲泣幽霊(びわのひきょくゆうれいをなかしむ)」に、八雲が脚色して英訳したもの。
「耳なし芳一」の話と類似する怪異談は、源平の戦いの終盤の舞台となった瀬戸内海周辺に「耳切れ団一」「耳なし地蔵」など、昔話や伝説として多種残されているようです。
琵琶法師のもう一つの役割は、人の霊魂(怨霊)を慰め、鎮めることでもあったのです。

いずれにせよ、琵琶法師の語る物語を楽しみにしていた人達が多く存在し、それは生身の人間に留まらず妖かしの存在までも魅了するほどのものであった、ということなのでしょう。
陰陽道とも関わりのある琵琶。
音で魔を鎮める力を持つ琵琶には、彷徨える魂をも鎮める力があったのかもしれません。
次のお話は、琵琶と妖かしについてお話します。