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お寺や神社との関係

琵琶がお話に登場する文学は、いろいろあります。
例えば、中国の詩人白居易の長編抒情詩『琵琶行』(816年45歳の作)は、船上で琵琶を弾く零落した長安の妓女の語る哀れな身の上話に、左遷された自分の境遇を重ね合わせた作品。
妓女の琵琶の弾き方に長安、いわゆる当時の都会での音色を聴きとって尋ねてみたら案の定、長安からやって来た(=零落?)女性だった、という設定になっています。
薄幸の女性と琵琶の組み合わせは、海を越えた中国でも、もの悲しさを呼んだのかもしれませんね。

文学とは少し離れるかもしれませんが、王昭君も、琵琶を持つ美女として有名です。
漢の元帝は絵師に後宮の女の絵を描かせて、美しい女を召しましたので、女達はこぞって絵師に賄賂を贈って美しく描いてもらい、皇帝の寵愛を得ようとしました。

しかし、同じく後宮にいた王昭君だけは賄賂を贈らなかったので醜く描かれ、一度も帝に召されることなく、漢と友好関係になった匈奴の王の求めに従い、嫁がされることになりました。
送別の席で初めて王昭君を見た帝は、その美しさに後悔しましたが、後悔先に立たず。
匈奴の国に向かう途中では、その美しさに目がくらんだ砂漠の鷹が空から落ちたといいます。
この女性もまた、ある意味、薄幸な身の上と琵琶の組み合わせですね。

日本では、琵琶の音色に“哀調”を感じますが、中国でも、その音色に何か感じるところがあるのかもしれません。
その他、三国志や水滸伝、金瓶梅、封神演技などの有名な物語の中にも、登場人物の持物として琵琶はちらちら登場するようです。
日本の作品では、今昔物語集(安倍清明絡みの小説にもここからのエピソードが使われています)、源氏物語(絵巻物の中に琵琶を奏でている姿が登場します)、怪談の耳なし芳一の話、など。
日本では、琵琶は、不思議な話(怪異譚)を彩る要素の一つとして登場することが多いように思われます。

今昔物語の中には、“玄象(絃上とも書く)”という有名な琵琶の名器が登場します。
村上天皇が愛したといわれるこの琵琶は、弾き手の技量が悪いと怒って鳴らなかったり、宮中に火事があった時には、手足が生えて逃げた、というのです。
普通に考えればそんな…と思うようなエピソードなのですが、琵琶の場合は、本当にそれがあながち作り話とは思えないところもあるのです。

私事ですが、以前、お稽古の大切さに自分が気づいていない時期の話です。
練習が足りていないのに「大丈夫だろう…」と自分の力を過信してそのまま舞台に出たところ、結果は惨憺たるもので、途中で手(旋律)がわからなくなり、大失敗をしでかしたことがございます。 思い返してみると、琵琶の鳴りも良くなかったし、いつもなら間違えないところで頭が白くなったのです。
これはもう、玄象ではないですが、琵琶が私の舞台に対する軽率な態度を戒めるが如く、鳴らなかったように感じたので、それ以来「稽古は嘘をつかない」と痛感して舞台に臨むようになりました。
琵琶=相棒は見ているのですね。本当に魂が宿っているのではないか?と思う楽器です。

源氏物語にしても、絵巻物の中で公達が琵琶を弾いている姿は、本当に風流で、その当時はきっとモテる技の一つだったのでは?と思われます。
余談ですが、戦時中、海軍の将校がたとえ実際には弾けなくても、琵琶を持って歩いているとモテた、というエピソードも残っているのですよ。
理由はわかりませんが、琵琶を弾く姿に知的な魅力が伴ってステキに見えたのかもしれませんね。
次の章では、琵琶と弁天様についてお話します。