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お寺や神社との関係

琵琶と妖かし。
どんなつながりが…?と思われそうですが、これが結構、あるのです…。

今昔物語集の第二十四巻の中に、「玄象の琵琶、鬼の爲に取らるる語」という話が記されています。
内容は次のようなものです。

村上天皇の時代に、宮中で大切にされてきた“玄象”という琵琶が突然なくなってしまい、天皇は代々大切にしてきたものを自分の代で亡くしてしまうなど…とたいそう悲しみます。
そんなある夜、どこからともなく琵琶の音色が聞こえてきました。
醍醐天皇の孫で音曲に優れた源博雅は、その音色がまぎれもなく“玄象”のものであると確信し、音の出処を求めて夜の京を一人の供人だけを連れて探しに行きます。
行き着いた先は、なんと羅生門の下でした。門の下から「誰が弾いているのか?」と尋ねると、音が止み、“玄象”の琵琶が縄をつけられた状態で上からするすると降りくるではありませんか。
ここでは、その姿は一切描写されていないのですが、弾いていたのは鬼、ということになっています。

その他にも、この琵琶には魂が宿っている、とされ、演奏者の技量が下手だと怒って鳴らなかったり、また内裏が火事になった際は、手足が生えて自分で逃げ出した、というエピソードまで残っています。
(ご興味おありの方は、アマゾンなどで『陰陽師』という小説やコミックを探してみて下さい。上手に取り入れられていますよ)

琵琶牧々(びわぼくぼく)という妖怪もいるのです。
これは、大切に扱っている器物に魂が宿って妖怪に変化したといわれる“付喪神”の一種で、人間の体に琵琶の頭部が付いていて、眼の見えない琵琶法師のように杖をついて歩いている姿をしています。
琵琶そのものが、演奏者であるはずの琵琶法師に化けるとは、なんともユーモラスな妖怪ですね。
1784(天明4)年に刊行された、鳥山石燕の妖怪画集『百器徒然袋』(ひゃっきつれづれぶくろ)の解説文によると、かつて宮中で大切にされていた琵琶、“玄上(玄象とも書く)”と“牧場”が変化して琵琶牧々になった、と述べられています。

先月、お話した琵琶と琵琶法師、にも登場しましたが、“耳なし芳一”の話にしても、この世のものではない存在にその音色を愛されてしまうわけですから、琵琶の音色は、この世だけに限らず、現実の世界とそうではない世界の垣根を超えて響くのかもしれません。
陰陽五行とも密接なかかわりを持ち、お経の伴奏楽器としても使われ、荒神様の荒ぶる魂をも鎮める力があるとされてきた琵琶。
琵琶の音色には、妖かしの存在をも魅了する“なにか”があったのでしょうね。魅了できなければ、鎮魂の目的も成り立たなくなってしまいますから。
次のお話は、琵琶を演奏するということについてお話します。