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亀茲(クチャ)

日本以外の琵琶というと、中国の琵琶を思い浮かべる方も多いかと思います。
以前音楽シーンを賑わした「 女子十二楽坊 」という音楽集団の中にも琵琶が華やかに参加していましたね。 中国四大美人の王昭君の絵姿にも琵琶が登場します。
中国の琵琶には「漢琵琶」と「亀茲琵琶」があります。
漢琵琶は4絃で曲頸、響孔があり撥(ばち)を用いて演奏。
一方、亀茲琵琶は漢琵琶に比べて胴が細く、5絃で直頸。
響孔は無く、撥(ばち)を使わずに爪で演奏するスタイル。
亀茲琵琶の方は、インド、南シナ、広東を経て日本へ伝来していたようです。

さて、この聞き慣れない「亀茲」という言葉。
亀茲(クチャ)とは現在、中国の新疆ウイグル自治区クチャ県にあたる所に栄えていた亀茲国のこと。
その歴史はとても古く、紀元前2世紀末から西域に在った36の国の中で最も栄えていたといいます。
天山山脈の南麓に位置し、水と鉱物資源に恵まれていたため、東西文化の交流も盛んに行われ、イスラム教と仏教の文化が交錯したシルクロードでも要衝とされたオアシス都市だったのです。
文化と共に音楽も発達し、ここで使われていた五弦琵琶や横笛はのちに遠く離れた日本の雅楽に大きな影響を及ぼすことになりました。
しかし、唐の時代にはその勢力が次第に衰え、ウイグル族がこの地に台頭し、ウイグル化してしまいました。

余談ですが、仏教の世界では翻訳僧として名高い鳩摩羅什は、インドはカシミール地方の名門貴族を父に、そして亀茲国王の妹を母としてこの国で生まれました。
この亀茲国で生まれた亀茲琵琶は古代インドに起源を持つ楽器で、ウイグル化したのちは大陸で「胡琵琶」と呼ばれたバルバブとなり、辿り着いた日本では五弦紫檀螺鈿琵琶として正倉院で大切に保管され、当時の面影を残す貴重な資料となっています。

バルバット

ササン朝ペルシアでバルバットとして誕生した楽器は、東洋にはアフガニスタンを経由して拡がっていきました。
カザフスタンのドンブラ、タジキスタンのドンブラキ、インドではヴィーナやシタール、敦煌では敦煌琵琶、中国では琵琶、ベトナムでは琵琶、インドネシアのガンブス、韓国では琵琶、そして日本でも琵琶として発達しました。
敦煌琵琶というと、莫高窟に残されている絵画にも登場する、背中に琵琶をまわして奏でる天女の姿が有名。
「反弾琵琶」というのだそうで、私もその様子が含まれている民族舞踊を中国を訪れた時に見て来ましたが、なかなかアクロバティックな感じでした。
実際に何人かの中国の演奏家が反弾琵琶にチャレンジしたそうですが、誰一人成功した人はまだいないそうです。

絵や舞踊のモチーフとしては素敵なんですけどね(今回の写真は反弾琵琶を奏でる踊り子さんです)。
ちなみに「敦煌琵琶譜」という唐代末期に筆写された琵琶の楽譜が、1900年に莫高窟の管理をしていた道士によって発見され、1908年にフランスの東洋学者がそれを買い取ったため、現在パリ国立図書館に保管されているものがあります。
この楽譜の発見自体は音楽史の上でも大事なものでしたが、中国においては、音楽文化の伝承自体が各時代で途絶してしまっているが故に、せっかく発見された楽譜も解読不可能とされていました。

ところが、日本における雅楽の伝承がこの古い楽譜の解読に役立つ要素を持っていたため、日本で有数の雅楽師の手によって復元され、千年の時を超えていにしえの楽の音が甦ったのだそうです。
日本の伝統芸能。
そして時代が移り変わってもそれを守って来た人々の努力が、国を越え、時を超えて、かつて存在していた文化の息吹を伝えるタイムカプセルになっている。
日本で文化を継承してきた人々が大切にしてきたものを、私たちはこれからも大切に守っていかなければならない。
いろいろなことを調べながら、漠然と思いました。
次のお話は、西洋に拡がって行った琵琶の仲間たちについてのお話です。